元兵庫県県議会議員で百条委員会の委員だった竹内英明氏がご自宅で亡くなられたと報道されました。
竹内氏は兵庫県議会議員を5期連続で務めた素晴らしい経歴の方で、百条委員会でも中心的な人物でした。
昨年の11月に行われた兵庫県知事選挙の際に、立花孝志氏やSNSでの誹謗中層で炎上しやむを得ず県議会議員を辞職していました。
そこで今回は、竹内英明氏が県議会議員を辞職する頃から亡くなられる現在までどのように過ごされていたのかを調査していきたいと思います。
竹内英明氏がご逝去
竹内英明氏は11月18日夜、自宅でぐったりしているのを家族がみつけ救急搬送されましたが、搬送先の病院で死亡が確認されたとの報道がありました。
自死とみられているとのことです。
竹内英明氏は元県民局長と話をした最後の人
竹内氏は、2023年に兵庫県の元県民局長が告発した文書の内容を調べる百条委員会の主要メンバーでした。
元県民局長が告発文を外部に流した時に、竹内氏にもその告発文書が送られてきていました。
でもあります。
母親の死去
竹内英明氏は、2023年10月23日にお母さまを亡くされていました。
ご自身のブログにその時のことが綴られています。
母の葬儀。なぜこんなにつらいのでしょう。父母に育てられましたが、子どもたちのしつけは総じて母の役割でした。食べる物のこと、寝る時間のこと、テレビをみる時間のこと、小さな頃は厳格な感じでした。いまになって全て私たちのことを思ってのことだとわかります。また、兄妹3人を分け隔てなく同じように育ててくれたと思っています。勉強しろとは言いませんでしたが、日本の歴史の本を読んでいた私に次は「三国志」はどうかと勧めてくれたり、かなり早い段階でパソコンを使う環境を構築してくれたりしました。東京の大学にいくときは家計の経済的負担が重かったと思いますが、奨学金とあわせて4年間きちんと支えてくれました。さらに親に負担をかける政治家という職業を選択した際、選挙に出ると言いに帰ってきた時もやめてほしいとか反対はなく受け入れてくれました。実際にも父と手分けして慣れない選挙運動で迷惑をかけました。何も言わず、その後ずっと支えてくれたのです。…
アメブロ
竹内英明の現在は誹謗中傷が続いていた?
兵庫県知事選挙中の誹謗中傷
竹内英明氏は、兵庫県知事選挙中に立花孝志氏率いる「NHKから国民を守る党」から誹謗中傷の攻撃をうけていました。
YouTubeの「子守康範チャンネル」の子守氏は、竹内氏と交流があったようです。
子守氏によると、最初の標的になったのが、竹内氏と同じ百条委員会の委員長をしていた奥谷氏です。
自宅前に立花孝志氏と党員が並び、拡声器を自宅の方向に向けて
立花氏らは、まず最初に奥谷氏の自宅、次の日に竹内氏の自宅、その翌日にも他の議員の自宅に行くというようなことを公言。
竹内氏のご家族もこれに恐怖したとのこと。
竹内氏は家族を守るために知事選翌日の11月18日に議員を辞職されました。
亡くなる直前まで元気だった?
子守氏は、竹内氏が亡くなられたことについて、
と語っておられました。
亡くなる直前にメッセージのやり取りをしていた人物がいたことを、子守氏は確認しています。
とも伝えています。
精神的に追い込まれていた?
子守氏は、直近に直接竹内氏と連絡は取りあっていなかったと話します。
電話だと直接話せるが、その時に取らなきゃいけない、とるのしんどいなって思うときもあるじゃないですか…
メールだと、相手の都合のいいタイミングで返信できるから負担にならないという配慮で、電話をしなかったようです。
相手がこれだけ連絡を取るのにも配慮していたということは、かなり精神的に追い込まれていた可能性もありそうです。
また、母親を直近で亡くされており、親族の死というのはかなりのストレスがかかります。
母親の死は知事選前なので、竹内氏は母親の死の悲しみから立ち上がれていない時期に知事選が始まり、立花氏やSNSでの誹謗中傷でさらに追い込まれていた状況のようでした。
それぞれ原因は違いますが、兵庫県絡みで亡くなった方がこれで3人目になります。
竹内氏が亡くなる前に誹謗中傷を受けていたこと、そのために亡くなったのではないかと思われてなりません。
竹内英明氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
コメント